2018年03月02日

2018.3.1 千作千五郎の会@国立能楽堂

2018.3.1 第三回 千作千五郎の会

演目
新作狂言「猫と月」
  (W.B・イェイツ=原作、佐野哲郎=訳、松本薫=演出)
    目の見えない乞食=茂山千五郎、足の悪い乞食=茂山 茂、
    聖者(聖コールマン)=松本 薫    後見=鈴木 実
新作狂言「ちんちん小袴」
  (ラフカディオ・ハーン=原作、茂山千五郎=作・演出)
    男=山下守之、女=島田洋海      後見=鈴木
  (休   憩)
狂言「石神(いしがみ)」
    男=茂山千作、女房=千五郎、仲人=網谷正美
    笛=栗林祐輔             後見=山下
附祝言「猿唄」     山下守之

最初の二曲の新作狂言は、昨年夏、日本とアイルランドの
国交樹立60周年を記念しての公演で上演された。東京では
初演・・凱旋公演である。

「猫と月」。アイルランドの国民的詩人(ノーベル文学賞
受賞)、イェイツの作品を狂言に脚色したもの。

足の悪い男と、目の不自由な男が、奇跡を求めて、聖コー
ルマンの泉にやって来る。

登場した聖人は、「不自由な眼や足を直すか、それとも祝
福を受けて聖者となるか?」と尋ねる。

実はこの聖人、妙に寂しがりやらしく、祝福を受けて自分
と一緒にいてくれる者を求めているらしい。

目の不自由な男は、見えるようにないたいと願い、足の悪
い男は、祝福を願う・・・

霊験あらたかな聖人・・・ふたりの望みはともにかなう。

目が見えるようになった男が去った後、足は不自由なまま、
祝福を受けた男が、聖人にうながされるままに、立って踊
る・・・祝福を受けて、足は癒えたのか・・さて?

さて?の疑問符はほかにも意味がある・・聖コールマンの
泉にはまぁるい月が輝いていたけれど・・・猫はどこ?

うーん・・・悩ましい。原作にあたって見なければ。

原作者のイェイツは、能の影響を受けた戯曲作品を残して
いるそうで、その作が狂言になるというのも、むべなるか
なと言うところ。

全体の印象としては、古典狂言の「月見座頭」を思わせる。
煌々と照る満月が、舞台の上に見えるようだ。

余談。国内の能楽堂では一番長いと言われる、国立の橋掛
を、目の不自由な男が、足の悪い男を背負って登場する・・・

背負っている千五郎師は、茂山狂言会一の体重を誇る?方。
背負われている弟の茂師は、スリムな体型。
・・・これ、逆だったら、絶対に無理!

「ちんちん小袴」。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、
日本の民話をもとに書いた童話が原作。YouTubeに、日本
語版の朗読がアップされている。

裕福な家に育ち、勇敢ながら貧しい武士の家に嫁いだ女、
夫が戦で留守にすると、思いっきり家事を怠け、喰っちゃ
寝生活・・・

と、ある晩、奇妙な謡の声・・「ちんちん小袴、夜も更け
て候よ、お静まれいや姫君」。女がそっと覗いて見ると、
裃姿の小さな妖精がいっぱい・・・

怖くなった女は、すっかり患いついてしまう。

そして、夫が戦から帰宅。夫の手柄話も語らせず、女はそ
の小人たちの恐怖を訴える・・・

勇猛な武人である夫は、早速に、このあやかしを退治しよ
うとするが・・・さて、その正体は?

日本の民話をもとにしているためか、意外に狂言との違和
感が感じられない。女の造形も、わわしい女が大好きな、
狂言にはよくあるタイプだし。

女が気味悪がる妖精を、男は「可愛らしい」と思う。
男と女の感性の違いか、それとも(この妖精の正体から見
て)女の心の中の“疚しさ”の発露なのか。
・・・考えると面白い。

またまた余談。やや丸みを帯びた体型の島田さんが、「食
べてばっかりで肥えた」と言われる女房役。対する夫役は、
小柄でスリムな山下さん。
・・・一曲目同様、まさに、適材適所ならぬ適材適役。

休憩後は、古典狂言で「石神」。
2016年の夏以来で、三度目。

前回も書いているが、落語の「厩火事」を思わせる。

ぐうたらな亭主に愛想を尽かせた女房は離縁を望むが、世
帯持ちの良い女房を失いたくない男は、これをなんとか阻
止したい。・・「遊んでて酒が呑め」る状態を維持したい
のだ。

女房はついに家出を決行。驚いた男は仲人に相談に。

仲人は、女房が来たら出雲路の石神様の占いで決めるよう
に言うので、男には、先に石神に化けるようと指示。

この出雲路というのは、京都・今出川にある幸神社のこと
・・・というのは、前回、調べた。

ここにある石神を持ち上げてみて、持ち上がるか上がらな
いかによって、吉凶を占うのである。

別れたくない男が石神に化けているのだから、女の望みは
かなわない・・・悄然とした女は、それでも自分は「巫女
の子孫だから、この場を清めるために神楽を舞って行こう」
と思う・・・。

この女の舞う神楽が、なんとも鬼気迫る感じ・・・もう、
ほとんど現世から遊離して、舞に没頭している・・・。

その様子に、石神に化けていた男は・・・つい・・・

もしかして、この男の「夜泊り、日泊り」は、吞む打つ買
うというようなものではなく、歌舞音曲、それも自分で演
じることなのかも?・・・と思うような結末でした。


終演後、外に出たら、空に真ん丸な月。
聖コールマンの泉にも、こんな月が輝いていたのだろうか。
posted by JTm at 12:46| 狂言 | 更新情報をチェックする