2019年03月31日

2019.3.30 扇辰日和@なかの芸能小劇場

2019.3.30 扇辰日和 vol.70

演目
入船亭扇ぽう      子ほめ
入船亭扇辰       崇徳院
  (仲 入 り)
チチンプイプイ     (ライブ 4曲)
入船亭扇辰       蒟蒻問答

この会場、久しぶりだったかな?
トイレがきれいに改装されていて驚いた。すべて
洋式になったのはありがたい。

扇ぽう「子ほめ」。子ほめは2度目かな。表情が
豊かに、仕草が分かりやすくなって、面白さ倍増。
そして、やっぱり扇遊師匠にそっくりで・・。

扇辰「崇徳院」。今回のネタ出し。前日の左龍師
と被った。春の噺なので仕方ない。

全体にカラッと明るい噺になっていて、患うほど
に恋い焦がれた若いふたりが、めでたく結ばれる
結末を思って、気分もほっこり。

ゲスト・チチンプイプイ。ギターの佐藤克彦氏、
ヴォーカルの酒井杏氏のコンビ。楽しいおしゃべ
り(扇辰師匠夫妻の秘密!)と、オリジナルを中
心に4曲。

扇辰「蒟蒻問答」。一年ぶりくらい。先日の一朝
師匠と被った・・こちらは別に春の噺じゃないけ
どね。

偽坊主・八五郎のちゃらんぽらんな調子の良さが
際立っている。沙弥・宅善の硬すぎる雰囲気と好
対照で愉快愉快。

会場前の通り、桜並木は花盛り。
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2019年03月30日

2019.3.29 左龍・甚語楼二人会@お江戸日本橋亭

2019.3.29 第21回 左龍・甚語楼二人会

演目
左龍&甚語楼      (トーク)
柳亭左ん坊       道灌
柳亭左龍        普段の袴
柳家甚語楼       棒鱈
  (仲 入 り)
柳家甚語楼       藪医者
柳亭左龍        崇徳院

冒頭トークは、いつもどおりの?オフレコ話。内容を
知りたい方は、次回、ぜひ会場へ。

左ん坊「道灌」。左龍師の初めてのお弟子さんで、ま
だ見習い。初高座なのかどうかはわからないが、硬さ
の中でも、噺はきちんと。
高座返しに緊張感があふれてる。

左龍「普段の袴」。最初に登場するお殿様?の鷹揚さ
に感心していたら、そこで意識を喪失した・・なんか、
肝心なところを聞き損ねちゃって・・残念。

甚語楼「棒鱈」。ネタ出しの一席。冒頭の酔っ払い町
人ふたりのやり取りに、あまり聞かないセリフが多く、
そしてこれが面白い。

甚語楼「藪医者」。患者が来ないのに困った医者が、
権助相手にひと芝居・・小品ながら笑いっぱなしの可
笑しさ。

左龍「崇徳院」。こちらもネタ出し。上野の清水さん、
行ってきたばかりなので、情景が目に浮かぶ。桜の枝
から外れた短冊・・という設定に、春爛漫を感じた・・
実はとっても寒い日だったのだが。

次回、7月21日(日)18:00~とのこと。

 IMG_6478.JPG上野の清水さん。3/27
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2019年03月29日

2019.3.28 国立能楽堂企画公演

2019.3.28 国立能楽堂企画公演
      ◎能を再発見する ◎寺社と能・清涼寺

演目
解説    芳野 明(嵯峨大念佛狂言保存会)
嵯峨大念佛狂言「釈迦如来」(  同   )
      釈迦=山下一行、寺侍=橘 隆仁、
      坊主=榊原好克、母親=升光泰造、
      娘=松井銀司
      鐘・太鼓=加納敬二
      横笛=近藤奈央
      後見=小西小三郎、松井嘉伸、小檜山一良
  (休  憩)
解説-「百万」の原形と現形-
      天野文雄(京都造形芸術大学)
観阿弥時代の能「百万」
      シテ(百万)=観世喜正、
      子方(百万の子)=観世和歌、
      ワキ(僧)=福王茂十郎、
      ワキツレ(従僧)=福王和幸、福王知登、村瀬 提、
      アイ(門前の者)=髙澤祐介
      囃子方 笛=杉 信太朗、小鼓=鵜澤洋太郎、
          大鼓=安福光雄、太鼓=林 雄一郎
      後見=観世喜之、遠藤喜久、永島 充
      地謡=谷本健吾、鈴木啓吾、坂 真太郎、山崎正道、
         佐久間二郎、梅若 実、角当直隆、馬野正基
      監修=天野文雄、梅若 実、福王茂十郎

前半は、京都・嵯峨の清凉寺に伝わる大念佛狂言
から。清凉寺の大念佛狂言は、壬生寺、千本閻魔
堂と並ぶ、京都の三大念佛狂言のひとつ。

このうち、壬生狂言は、一度、国立小劇場での民
俗芸能公演で拝見している。

解説によると、清凉寺と壬生寺の狂言は、非常に
近い関係で、清凉寺に残る20番のうち、19番まで
は、壬生と共通の演目だそうだ。

そして、全員が面をつける、すべて無言のパント
マイムで演じられるというのも共通している。

今回上演の「釈迦如来」は、唯一、壬生と重なら
ない、清凉寺独自の演目とのこと。

内容は単純で、釈迦の像を安置したが、なんとこ
の仏像が、お参りに来た母娘の母親の方と逃げて
しまう。仕方なく、僧が仏像に化けるが、今度は
これが娘の方と逃げてしまう・・残った寺侍は・・?

そして誰もいなくなった、という結末。

これが、鐘と太鼓の単調なリズムに乗って展開す
る。・・・いやー、これがまた、眠気を誘うんだ
よね・・・大いに参りました。すいません。

嵯峨大念佛狂言保存会の方たちは、すべて素人で
本業は別にあるとのこと。解説をされた芳野氏は、
大学の先生で、専門はなんとイタリア美術史だそ
うだ。

能「百万」。現在行われている能の「百万」は、
観阿弥作の「嵯峨の大念佛の女物狂いの物まね」
と呼ばれていた曲を、息子の世阿弥が改訂したも
のだそうだ。・・と言われても見ていないのでよ
くはわからないのだが。

なぜか理由はわからないが生き別れた母子が、大
念佛が行われている嵯峨の清凉寺で再会する・・
と、物語自体は簡単なお話。

子どもを拾った僧が、人出の多い大念佛に連れて
来て、身内を探す・・子を見失った母もまた、多
くの人のいるその場所に来ていて・・ということ。

この母が、普通の女ではなく、女曲舞(くせまい)
舞いという芸能者であるということを、もともと
の観阿弥の作は、大きく意識していたらしい。

とすると、世阿弥の改訂は、この部分を曖昧にす
ることで、より普遍的な物語にした・・というこ
となのか。

子を見失った母が、物狂いとなって舞を舞う・・

その場合、母がもともと芸能者であるよりも、そ
うではない普通の女であったとする方が、母とし
ての悲しみを強く感じさせるのではないか。

世阿弥の改訂の意味は、そこにあるのかも?と、
そんな気がした。

「原形」を見せるという企画の趣旨とはちょっと
かけ離れた見方かもしれないが、わたしはむしろ
「現形」の意味についての方を、深く考えさせら
れた。
posted by JTm at 11:25| | 更新情報をチェックする