2019年05月31日

2019.5.30 桂吉坊・春風亭一之輔二人会@日本橋劇場

2019.5.30 第10回 桂吉坊・春風亭一之輔二人会

演目
春風亭与いち      黄金の大黒
桂 吉坊        おごろもち盗人
春風亭一之輔      祇園祭
  (仲 入 り)
春風亭一之輔      天狗裁き
桂 吉坊        たちきり
         (三味線:恩田えり??)

与いち「黄金の大黒」。与いちさん、久しぶりに聞
いたが、この噺はあきらかに一之輔師直伝・・もう、
あまりに似ていて、それが一番可笑しかった。

吉坊「おごろもち盗人」。おごろもちは、大阪弁で
もぐらのことだそうで、東京では「もぐら泥」とい
うお馴染みの噺。

噺の運びはほとんど同じで、最後に漁夫の利を得る
男が、酔っ払いか素面かの違い。

あと、女房が「足袋を買った・・半襟も・・あ、つ
いでに帯と着物」・・これ、如何にも上方の女房っ
ぽい。

一之輔「祇園祭」。忘れていたが今回のネタ出し。
後からの話では、だいぶ前にネタ出ししたものの、
大いに後悔したと。初演以後、ずっと演っていなかっ
た噺だそうだ。

旅の三人が、京の町に入るところからのフル?バー
ジョン。時折、ちょっとした言い直しなどもあった
けれど、気になるほどではない。

最後の祭囃子は・・うーん、これはやっぱり、一朝
師匠には及びませんな・・師匠は偉大。

一之輔「天狗裁き」。前かたのリベンジ?なのか、
もう如何にも一之輔師らしいハジケっぷり。いやー、
ずっと笑いっぱなしで、涙出て来た。

お奉行様の出てくる噺なのに、大家のセリフの中に、
「三時半に目が覚める・・」なんて、現代の時制が
出て来たのは、よく考えると矛盾なんだが・・聞い
ている間は、まったく気にならず。

吉坊「たちきり」。ハッチャケた一之輔師の高座の
あとで、まったく毛色の違う噺をするのは大変だろ
う・・と心配したが、これは杞憂。
一瞬にして、自分の世界に引き込む・・・

一途な思いで結ばれた若い男女が、ほんのちょっと
したかけ違いで悲しい結末に・・その情感をしっと
りと描き出す。

最後の場面に、小糸の朋輩の芸妓たちが、お参りに
訪れるのは、東京の「たちきり」ではほとんど演じ
られない。

それを寂しいと思うこともあったけれど、今回、吉
坊師の噺を聞いて、これはやっぱり、上方弁だから
いいんだ・・と、改めて感じた次第。
posted by JTm at 09:51| 落語 | 更新情報をチェックする

2019.5.29 素浄瑠璃の会@深川江戸資料館

2019.5.29 素浄瑠璃の会 復曲浄瑠璃「花魁莟八総」

演目
復曲浄瑠璃「花魁莟八総」滝田の城の段
   太夫=竹本千歳太夫
   三味線=野澤錦糸
  (休  憩)
対談 「花魁莟八総」の復曲について
   千歳太夫&錦糸(司会:資料館職員)

「花魁莟八総」。これで「はなのあにつぼみのやつふさ」
と読む。滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』を、江戸時代後
期の戯作者・山田案山子という人が人形浄瑠璃に脚色、
天保7(1836)に初演された。

その後、幕末~明治にかけてはたびたび上演されたが、
大正11年を最後に、人形浄瑠璃としての上演は途絶えた。

それを、馬琴生誕の地・深川で復曲しようという試みは、
2016年を皮切りに、今年で4回目・・だそうだ。
今まで、参加してこなかったことを悔やむばかり。

復曲というのは、当時の譜面が残っていることが前提で、
それがなければ「作曲」となるそうだ。・・なるほど、
昼間の「出世景清」は、もっとずっと古い作品だから、
譜面がなくて、だから「鶴澤燕三作曲」だったんだなー
と、改めて納得。

今までの復曲上演は、2016年の「伴作住家」に始まって、
「蟇六住家」「芳流閣の決闘」と続いて今回は「滝田城
の段」。

これは、物語の発端部分、敵に囲まれた里見義実が、ふ
と魔が差してか、飼い犬の八房に「敵将の首を取って来
たら娘の伏姫をやる」と言ってしまう場面である。

この義実の言葉の重さ・・・その言葉の前には、なにや
ら怪しい魑魅魍魎の跋扈を感じさせる場面が。

「怪しや飛び来るひとつの陰火、臥したる犬のその上へ
落ちると見えしがそのままに形は消えて跡もなし」

里見家に恨みを抱く女、玉梓(たまずさ)の怨霊の出現。

すべての悲劇、波乱に満ちた物語は、ここから始まった
のだ。・・今までの三回を聞き逃したのは残念だが、こ
の場面を最初に聞けたのは、それはそれでよかったかも
しれない。

後半の対談は、復曲へのプロセスを中心に。

譜面があると言っても、西洋音楽の五線譜ほどには厳密
なものではないし、第一、浄瑠璃とのからみまでは分か
らない。
太夫と三味線のやり取りを、何度も何度も繰り返しつつ、
ひとつの曲に仕上げて行くのだという。

今回の上演場面の最後で、伏姫は八房と共に富山に籠り、
やがて、その死と共に飛び散った八つの玉から、物語は
発展していく。

次回はどうやら、この、伏姫の死の場面が上演されるら
しい・・期待したい。

そして、期待と言えば、これもまた、人形付きで文楽本
公演での上演を・・ぜひ!


<オマケ>言わずもがなの注釈
演題の「花魁」・・つい、おいらんと読みたくなってし
まうが、ここでは「はなのさきがけ」という本来の意味。
すべての花に先駆けて咲くことから、梅の花のことを指
す。そして、一番早く生まれるから「花の兄」というこ
と・・なんだそうだ。
posted by JTm at 09:18| 文楽 | 更新情報をチェックする

2019年05月30日

2019.5.29 素浄瑠璃公演「出世景清」@紀尾井小ホール

2019.5.29 素浄瑠璃公演「出世景清」

演目
解説      葛西聖司&渡辺保
「出世景清」阿古屋住家の段
        太夫=豊竹呂勢太夫
        三味線=竹澤宗助
  (休  憩)
解説      葛西聖司
「出世景清」観世音身替の段より清水寺の段
        太夫=竹本三輪太夫
        三味線=鶴澤燕三
(近松門左衛門=作、鶴澤燕三=作曲、
 鳥越文藏=発意・監修)

「出世景清」は、近松門左衛門の初期作で、竹本義
太夫と提携した最初の作品とのこと。歌舞伎十八番
の「景清」の元となった作でもある。

しかし、文楽では貞享2(1685)年の初演以来、ほ
とんど上演されていなかった。それが、昨年、鶴澤
燕三師の作曲により、山口県で通し上演された(一
部人形付き)。

今回は、素浄瑠璃で一部のみの上演だが、東京では
初ということもあり、チケットは即日完売、追加公
演も決まったそうで・・

冒頭の対談形式の解説で、この作品の意義、上演ま
での経緯、昨年上演時の裏話(大豪雨の最中だった
そうだ)などが語られる。

この作品は、中世以来の宗教性の高い古浄瑠璃が、
演劇性の高い人間ドラマに進化した近代の浄瑠璃に
変わるきっかけとなった作品だという。

昨年の公演は初演以来の通し公演だったが、それ以
前に一部は復活されて、昭和60(1985)年と翌年の
2回、上演されている。

この時の作曲は、今回の燕三師の師匠である五代目
燕三師。しかし、昨年の通し公演では、当代燕三師
は、敢て師匠の曲には添わず、すべて新たに作曲し
たのだそうだ。

物語は、平家滅亡後に、生き残った平家の将・景清
が、源氏の頭領・頼朝を着け狙うことから始まる。

当然、源氏方は景清を捕えようとする。

景清は熱田の大宮司に匿われ、その娘である小野の
姫と結婚。しかし、京には愛人でふたりも子どもの
いる阿古屋がいる。

奈良の大仏再興の供養に、頼朝が現れると考えた景
清はその現場に赴くが、正体を見破られて失敗、帰
途に信仰する清水寺に参るついでに、阿古屋と子ど
もたちのもとを訪れる。

ここからが、今回上演の前半「阿古屋住家」になる。

阿古屋と子どもたちに再会した景清は、清水寺参詣
に・・その留守に現れるのが、阿古屋の兄・十蔵。

十蔵は、景清を訴人して恩賞を得ようと、妹をそそ
のかすが、阿古屋はもちろん聞き入れない。しかし、
そこに、熱田の小野の姫からの手紙が届き・・

「まさか、阿古屋なんていう遊女にうつつを抜かし
ているんじゃないでしょうね!」

平たく言えばそんな感じの手紙。読んだ阿古屋は逆
上し、ついには兄に加担して、景清を訴える。

いやはや・・・これ、悪いのは誰でしょうね?
十蔵?・・違う違う、一番悪いのは女ふたりを手玉
にとった景清でしょう!

この訴えで景清は捕らえられ、牢内へ。
その牢内の景清を訪れた阿古屋は許しを請うが、景
清は頑として許さず、阿古屋は子どもふたりを道連
れに自害。

そして、景清も処刑されるが・・

というところから、後半の上演部分へ。

景清は、斬首になり首はさらされる・・ところが、
「まだ牢内にいます!」との報告。さらされた首を
実検に訪れる頼朝。その目の前で、景清の首は、観
音菩薩の首に・・・

信仰する清水の観音様の御利益で、命の助かった景
清。これを見た頼朝も、その霊験を感じて処刑を免
じ、日向の国宮崎の庄を与える(流罪ではなく領地
を与えるのだ)。

その厚情に、景清も感謝し、頼朝を害することは止
めると言う。

打ち解けて、昔の戦話に興じるふたり・・一段落し
て頼朝が席を立つと、景清は・・?

解説の渡辺氏が、「戦話をするうちに、景清の身の
うちから、またふつふつと憎しみが込み上げた。理
性ではもう狙わないと決意したはずだが、心がつい
て行かない」と話しておられた。

これはまさにその通り・・昨今の事件のように、理
不尽に命を奪われた方の身内の方たちなど、法の裁
きと自らの復讐心の間で、同じような葛藤を持たれ
るに違いない。

前半は「女と女」、後半は「男と男」の対決。
そして、観世音信仰。

なるほど、古浄瑠璃から新しい浄瑠璃への過渡期の
作と言われることに納得。

そして、落語「景清」の中で、定次郎が清水の観音
様に貰う景清の眼が、どうしてそこにあったのか?
という疑問も解消(笑)


これ、ぜひとも、人形をつけて、本公演で上演して
貰いたいのだが・・・実現の日は来るのかどうか。
posted by JTm at 15:25| 文楽 | 更新情報をチェックする