2020年01月14日

2020.1.13 東次郎家伝十二番@横浜能楽堂

2020.1.13 東次郎家伝十二番 第十回

演目
狂言「麻生」
 シテ(麻生の何某)=山本東次郎
 アド(頭六)=山本則重、アド(下六)=山本則秀、
 アド(烏帽子屋)=山本修三郎、   後見=山本則俊
 囃子方 笛=杉 信太朗、小鼓=幸 正昭、
     大鼓=亀井洋佑、太鼓=林 雄一郎
  (休  憩)
狂言「庵梅(いおりのうめ)」
 シテ(お寮)=山本泰太郎、
 立衆(女)=山本則孝、山本則重、山本凛太郎、
       寺本雅一、山本則秀
 後見=若松 隆
 囃子方 笛=杉 信太朗、小鼓=幸 正昭、
     大鼓=亀井洋佑、太鼓=林 雄一郎
 地謡=山本東次郎、山本則俊、山本修三郎

「麻生」。訴訟ごとのために長く都に滞在していた
麻生の何某は、それが片付いたのでめでたく、故郷
の信濃に帰れることに。

翌日は元日とあって、正装で挨拶をしてから出立す
ることになる。

気の利く召使が衣装を揃えてくれ、烏帽子ももう烏
帽子屋に取りに行くだけ。早速に、下六を取りにや
り、自分は頭六に烏帽子用の髷を結ってもらう。

舞台上で、この髪結を丁寧に見せるのが、いわば“目
玉”。東次郎師、そのための専用鬘をご着用。

さて、髷を結い終わっても、烏帽子屋に行った下六
が戻らない。頭六を迎えにやると・・・
なんとふたりの召使は、ふたりながらに道に迷って、
主人の家がわからなくなってしまう。

命じられもしないのに、大事な衣装を揃えたり、髷
の結い方まで習っていたりする気の利く召使なのに、
なんで、帰り路がわからなくなっちゃうかねぇ?

「庵梅」。梅の満開の庵に、ひとり住む老尼・お寮
を、歌道の弟子の女たちが訪ね、ひとりずつ、歌を
詠んでお寮の指導を仰ぎ、皆で酒を呑んで謡を謡い、
舞を舞う・・ただそれだけの物語。

うーん、少し、予習しておくんだった・・と思った
けれど、あとの祭り。
・・途中で、見事に意識喪失。終わりの拍手でよう
やく覚醒という・・今日もまたナサケナイ一日になっ
てしまった。無念。
posted by JTm at 10:23| 狂言 | 更新情報をチェックする

2020.1.11 国立能楽堂普及公演

2020.1.11 国立能楽堂普及公演

演目
解説・能楽あんない
 「八島のいくさを語り継ぐ」
   佐伯真一(青山学院大学文学部教授)
狂言「酢薑(すはじかみ)」(和泉流)
   シテ(酢売り)=髙沢祐介、
   アド(薑売り)=前田晃一
  (休  憩)
能「八島(やしま)」(宝生流)
   シテ(前・漁翁、後・源義経)=今井泰行、
   ツレ(男)=亀井雄二、
   ワキ(旅僧)=村山 弘、
   アド(浦人)=三宅近成、
   囃子方 笛=槻宅 聡、小鼓=住駒匡彦、
       大鼓=大倉正之助
   後見=朝倉俊樹、和久荘太郎
   地謡=今井 基、小倉伸二郎、金森隆晋、金井雄資、
      金森亮充、小倉健太郎、東川尚志、髙橋憲正

佐伯氏の解説は、「八島」の内容に即して、あらすじ
と、能におけるその表現方法について・・だったかな?
三日もたってしまったので、もはや霧の彼方。
すいません。

「酢薑」。薑というのは山椒あるいは生姜のことだそ
うだが、この演目ではおそらく生姜だろう。

摂津国の薑売りと和泉国の酢売りが、都で出会い、わ
れこそは商人の司と言い争いに。それぞれの商売の由
来を述べた挙句に、秀句を言っての競争に。

秀句というのは、いわゆる駄洒落。お互いにそんなこ
とを言い合っていたら、笑っちゃって争いどころじゃ
なくなるね・・という訳で、最後はふたり仲良く・・
生姜には酢はつきものだしね。

・・国と国の争いも、駄洒落で決着がつけられたらい
いのにな。

「八島」。八島は現在の香川県高松市の屋島で、江戸
時代の埋め立てで現在は陸続きとなっているが、中世
のころは本当の島だった。源平の決戦の場である。

能の演目としては、観世流では「屋島」、他の流派で
は「八島」と表記するそうだ。

旅の僧がこの地を訪れ、漁夫の小屋に一夜の宿をとる。
夜のつれづれに、昔のいくさの話を乞う旅僧に、老漁
夫は、三保谷四郎と悪七兵衛景清の錣引きのことや、
源義経の話を詳しく語る。

そのあまりの詳しさに、「あなたはいったいどなたで
す?」と問う僧・・老漁夫はこれには答えず姿を消す。

やがて、そこへ浦人がやってきて、見知らぬ僧が寝て
いるのに驚き、僧を起こす。浦人もまたかつてのいく
さのことを語り、先ほどの老漁夫はきっと義経の霊で
あろう・・供養してくださいと。

僧が待っていると、今度は甲冑姿の源義経が現れて、
自分が修羅道にいること、現世への執着を残していて
成仏出来ないことを語り、八島での弓流しの話をする。

ちなみに修羅道というのは、いわゆる六道のひとつで、
阿修羅のいる世界のことだそうだ。生前に醜い争いを
した人が生まれ変わる世界で、ここにいる人は、絶え
ず怒りに駆られて、激しい戦いを続けなくてはならな
いのだという。

義経もまた、この修羅道で、今もまだ激しい戦いに明
け暮れている・・・

供養しようという旅僧の心もむなしく、義経の霊は、
修羅道の鬨(とき)の声に呼ばれ、戦いを求めて消え
て行くのだった。

・・・という理解でよろしいのでしょうか。
正直、半分もわかってません・・あー、情けなや。
posted by JTm at 09:51| | 更新情報をチェックする