2020年02月14日

2020.2.13 人形浄瑠璃二月文楽公演@国立小劇場(その2)

月曜日に続いての文楽公演・・二部・三部を続けて見る。

2020.2.13 人形浄瑠璃二月文楽公演 第二部

演目
「新版歌祭文」
 野崎村の段   
   中  太夫=豊竹睦太夫、三味線=野澤勝平
   前  太夫=竹本織太夫、三味線=鶴澤清治
   切  太夫=豊竹咲太夫、三味線=鶴澤燕三
                ツレ=鶴澤燕二郎
 人形役割
  おみつ=吉田蓑二郎、久作=桐竹勘壽、久松=吉田玉助、
  お染=吉田清五郎、母お勝=桐竹紋臣、船頭=吉田玉誉 外
  (休  憩)
竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫 襲名披露口上」豊竹呂太夫
竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲名披露狂言
「傾城反魂香」
 土佐将監閑居の段
   口  太夫=豊竹希太夫、三味線=竹澤團吾
   奥  太夫=竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫
      三味線=竹澤宗助、ツレ=鶴澤寛太郎
 人形役割
  浮世又平=桐竹勘十郎、おとく=豊松清十郎、
  土佐将監=吉田玉也、奥方=吉田文昇、修理之介=吉田玉勢 外
 囃子 望月太明藏社中

「新版歌祭文」。かなり上演回数の多い演目で、この
ブログにもすでに何度か書いている。

久松を巡る、幼馴染の田舎娘・おみつと、奉公先のお
嬢様・お染の恋のさやあて。

美しく派手なお染と、地味でごく家庭的なおみつ・・
若い久松の前では、おみつに勝ち目は・・ないよなぁ。

結局、恋する相手の幸せを祈って、おみつは身をひき、
尼になる。お染と久松は、身分の差を越えて結ばれる
暗示で物語は終わるのだが・・

他人の犠牲の上に立つ幸せ・・と考えると、決して盤
石ではないような気がしてならない・・。

最後、三味線が二丁になって、いわゆる「野崎の送り」
を迫力一杯に演奏・・歌舞伎だと、おみつがお染と久
松を見送る場面なのだが・・文楽ではそうはならない
のね・・これ、何度見ても「え?」ってなっちゃう。

・・・ちょっと物足りないかなぁ。

「傾城反魂香」。新錣太夫の襲名披露ということで、
大阪と同じように、呂太夫師による口上がつく。
・・内容は、大阪の時と同じでした。・・おいど、ね・・

大阪公演は見事に“落ちて”しまったので、今回は心し
て見る。

吃音というハンディを負った又平が、絵の師匠に土佐
の苗字を授けてもらおうと懇願する。しかし、師の将
監は、画業による手柄がないからと、これを認めない。

師が土佐の名を弟子に許すのは、決して温情や同情で
は出来ない事なのだ。

その厳しさはわかるけれど、又平のハンディをことさ
らあげつらうような言い方をするのは、なんだか聞い
ていて苦しくなる。

もっとも、プログラムの解説によれば、近松の手にな
る原作では、もっとひどいセリフがあるそうなので・・
まぁ、しょうがないか・・と思うことにしよう。

新・錣太夫師は、呂太夫師の口上のお話そのままの、
生真面目で手堅い語り。又平の吃音が治るという結末
は、確かに少々ご都合主義的だが、めでたい席には、
ふさわしいと言えるだろう。


2020.2.13 人形浄瑠璃二月文楽公演 第三部

演目
「傾城恋飛脚」
 新口村の段
   口  太夫=豊竹亘太夫、三味線=鶴澤友之助
   奥  太夫=豊竹呂太夫、三味線=鶴澤清介
 人形役割
  忠兵衛=吉田玉佳、梅川=吉田勘彌、孫右衛門=吉田玉也、
  八右衛門=吉田玉峻、忠三女房=吉田蓑一郎  外
  (休  憩)
「鳴響安宅新関」
 勧進帳の段
   太夫 弁慶=豊竹藤太夫、富樫=竹本織太夫、義経=豊竹芳穂太夫、
      伊勢・片岡=竹本南都太夫、駿河・常陸坊=竹本文字栄太夫、
      番卒=豊竹亘太夫、竹本碩太夫
   三味線 鶴澤藤蔵、鶴澤清志郎、鶴澤清𠀋、鶴澤清公、
       野澤錦吾、鶴澤清允、鶴澤清方
 人形役割
  弁慶=吉田玉男、富樫=吉田玉志、義経=吉田文昇  外
 囃子 望月太明藏社中

「傾城恋飛脚」。こちらも何度目かの遭遇・・もっと
も、近松原作の「冥途の飛脚」と、その改作であるこ
の作と、かなりごっちゃになっているのだが。

預かった金に手を付けてしまい、死を覚悟の逃避行を
続ける梅川と忠兵衛は、死ぬ前にひと目、忠兵衛の父
の顔を見たいと、故郷の新口村にやって来る。

お互いに思い合いながらも、様々な義理に縛られて、
直接には顔を合わせられない父と子・・目隠しをして
父に抱き着く忠兵衛の目隠しを、梅川がそっとほどく。

これは、詞章にはない重要な動きなのだそうだ。
人の情けが、義理やしがらみを乗り越える・・見る人
の情に訴える、優れた演出であろう。

「鳴響安宅新関」。これも2014年に一度、遭遇してい
る。その時は気づかなかったようだが、弁慶の人形を
主遣いばかりでなく、左遣いも足遣いも、黒衣を着ず、
出遣いで演じていることに、今回は気づいた。

プログラムの解説には、後半の海辺になって変わると
あったが、今回は、最初から三人とも出遣いだった。

これ、見ていて面白かった。三人の連携した動きが、
よく見えるのだ。・・もっとも、全部の人形をこの形
で遣ったら、却って混乱するかも?だけど。

もともと能の「安宅」をもとに書かれただけあって、
富樫と弁慶のやり取りは、息詰まるような迫力・・し
かし、文楽ならでは・・と思うのは、後半の、七丁の
三味線による合奏である。

帰宅して夕刊を見たら、ちょうどこの公演の劇評が出
ていた。それによると、明治時代の改作により、「語
り物から音楽に軸足を移した」のだそうだ。
(朝日新聞2/13夕刊、内山美樹子氏)

頭の中で、ずーっと三味線が鳴り響いている・・そう
か、演題の「鳴響」は、これのことなんだ・・。
posted by JTm at 14:26| 文楽 | 更新情報をチェックする