2018年08月09日

2018.8.7 人形浄瑠璃 夏休み文楽特別公演@国立文楽劇場

2018.8.7 人形浄瑠璃 夏休み文楽特別公演 第二部

演目
「卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)」
  平太郎住家より木遣り音頭の段
   太夫=(中)豊竹睦太夫、(切)豊竹咲太夫、(奥)豊竹呂勢太夫 
   三味線=(中)竹澤宗助、(切)鶴澤燕三、(奥)鶴澤清治
   人形役割 横曽根平太郎=吉田玉男、女房お柳=吉田和生、
        平太郎母=吉田文昇、和田四郎=吉田文哉、
        進ノ蔵人=吉田勘市、みどり丸=吉田蓑太郎  外
  (休  憩)
「大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)」
  六波羅館の段
   太夫=(中)豊竹咲寿太夫、(奥)豊竹靖太夫 
   三味線=(中)鶴澤清馗、(奥)野澤錦糸   
  身替り音頭の段
   太夫=(中)竹本小住太夫、(奥)竹本千歳太夫 
   三味線=(中)野澤勝平、(奥)豊澤富助
   人形役割(各段共通) 
     斎藤太郎左衛門=吉田玉也、常盤駿河守=吉田玉輝、
     永井右馬頭=吉田玉志、妻・花園=吉田勘彌、三位の局=吉田清五郎、
     若宮=桐竹勘次郎、鶴千代=吉田和馬、力若丸=吉田蓑之 外  
   はやし 望月太明藏社中

「卅三間堂棟由来」。今までにも何度か?見ているが、今回、
お初の人物が登場。和田四郎。平四郎にあらぬ盗みの疑いを
かけ、かつ、出世のネタとして、お柳が隠し持っていた髑髏
を奪おうとする。

プログラムの記事によると、大阪では1992年以来の“登場”と
のこと。調べたら東京では1977年に一度、出たきりだ。

この人物がいることで、最後、平四郎との間で派手な立ち回
りが繰り広げられることになるので、確かに、“見せ場”は増
える。

ただ、その反面、母と子、夫と妻の予期せぬ別れという悲劇
に、いささか、水を差された気分になるのも否めない。それ
にもまして、“髑髏”の在処を聞き出そうと、老母を拷問する
場面は、正直言って、見るのが辛い。

この部分、あくまで脇筋であり、無くても構わないのでは?
と、つい、考えてしまった。

「大塔宮曦鎧」。こちらは2013年に一度見ている。
若宮(後醍醐天皇の皇子)を守るため、家臣が自らの子や孫
を争って身代わりにしようという・・・理不尽な話。

今回のプログラムに、「子どもの死亡率の高かった時代、誰
でも我が子や親しい子を亡くした経験があっただろう・・そ
の早くに逝った子どもたちの犠牲の上に、自分の人生がある
と考える者も多かったのではないか」という趣旨の解説が出
ていた。

うーん、そう考えると少しは納得出来るかな。
祭りの踊りの輪の中で、白刃が翻る・・哀切な祭囃子が涙を
誘う。

この悲しい後段に比べ、前段の六波羅館は、三位の局に横恋
慕する守護職・常盤駿河守の“道化”ぶりが可笑しい。局から
の返歌や灯籠に描かれた絵を、都合の良いように良いように
解釈して、ひとりで悦に入っている。

それを悉く暴く、斎藤太郎左衛門の硬骨ぶりが見事・・が、
これがとんでもない“伏線”になって行くのだが。



2018.8.7 人形浄瑠璃 夏休み文楽特別公演 第三部

演目
「新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)」
  野崎村の段  
   太夫=(中)竹本文字久太夫、(前)竹本津駒太夫、(後)竹本三輪太夫 
   三味線=(中)鶴澤清志郎、(前)鶴澤寛治、(後)竹澤團七、(ツレ)鶴澤清公
   人形役割 おみつ=豊松清十郎、久作=桐竹勘壽、久松=吉田文昇、
   油屋お勝=吉田蓑助、お染=吉田一輔、船頭=桐竹紋秀 外
  (休  憩)
「日本振袖始(にほんふりそではじめ)」
  大蛇退治の段
   太夫 岩長姫=竹本織太夫、稲田姫=豊竹希太夫、
      素戔嗚尊=竹本南都太夫、ツレ=豊竹亘太夫
   三味線 鶴澤藤蔵、鶴澤清𠀋、鶴澤寛太郎、
       野澤錦吾、野澤燕二郎
   人形役割 岩長姫=桐竹勘十郎、稲田姫=桐竹紋臣、
        素戔嗚尊=吉田玉助  外
   はやし 望月太明藏社中

「新版歌祭文」。おなじみ、野崎村である。
百姓・久作の一子(と言っても実は主家の忘れ形見)久松は、
大坂の商家・油屋に奉公しているが、主人の娘・お染と恋仲
になる。

久松には、久作の妻の連れ子、おみつという許婚がいる。お
みつは久松を慕い、病気の母の看病をしながら、祝言の日を
心待ちにしている。

そこへ思いがけなく、久松の帰郷・・それは、主家の金を盗っ
たという疑いを向けられての“謹慎”だった。

それでも喜ぶおみつ。久作もまた、おみつの母が生きている
うちに、娘の祝言を見せたいと思う。

が、お染は収まらない。久松を追って野崎村にやって来る。

嫉妬するおみつ。しかし、久松とお染が、「死」を覚悟して
いることを察して、自ら身を引くことに。

最後、歌舞伎だと、おみつと久作が、舞台に残ってお染と母、
久松を見送るのだが、文楽では、土手を駕籠で行く久松と、
舟に乗り込んだお染母娘が、並んで、下手から上手へと移動
する・・おみつさん、可哀そうだな。せめて、幕を切らせて
やって欲しいよ。

「日本振袖始」。そもそも、この猛暑の中、大阪への遠征を
思い立ったのは、先月、歌舞伎鑑賞教室で見たこの演目がきっ
かけだった。

八岐大蛇の八つの頭を、ウロコ模様の装束の8人の役者が演
じるという、かなり前衛的な(とわたしには思えた)演出を
見て、「文楽ではどうするの?」という単純な疑問を持った
のだ。

結論。以前に、石見神楽で見た、あの大蛇と一緒でした。
龍頭に蛇腹をつないで、くねくねと動かす。

でもなぜか、八岐ではなくて、四岐だけだったけれど。大蛇
も人手不足かな?・・冗談です。

プログラムの解説にも「立ち廻りには石見神楽で用いる大蛇
を取り入れて」と書いてあった。

ただ、これが、果たして享保3(1718)年の初演から行われて
いる演出なのかは分からない。石見神楽は、明治期に「見せ
る」ことを意識して、派手な演出を取り入れるようになった
そうなので、あの大蛇が、それ以前から演じられていたのか
調べきれなかった。

この大蛇・岩長姫を遣うのが、桐竹勘十郎師・・妖狐とか大
蛇とか、“人外のもの”を遣わせたら、右に出る者がいないの
では?と思わせる。

時折、正体を現して、鬼のような形相に変わる岩長姫(角出
しのガブという特殊なかしらを用いる)・・なにやら妖艶な、
官能的ともいえる魅力にあふれていた。
posted by JTm at 15:40| 文楽 | 更新情報をチェックする