2017年02月02日

2017.2.2 1月の展覧会から−青と白の誘惑−

2017.2.2 1月の展覧会から−青と白の誘惑−

偶然だが、1月に、陶磁器の展覧会を三つ見たので、
ちょっとまとめておく。

透き通るような白地に、鮮やかなブルーで絵付けした
やきものは、中国では青花、日本では染付または呉
須と呼ばれる。

これらはいずれも、陶器ではなく磁器、つまり、土(陶
土)ではなく、石を砕いた粉を使い、高い温度で焼成し
て作る。

この磁器の技法は、宋代末に中国で始まった。しかし、
当初は、高温で焼成するために、絵付けが困難(焼成
中に顔料が溶けてしまう)で、もっぱら、青磁、白磁な
ど、無地のものが作られた。

元代になって、モンゴル支配下で西アジアから、コバ
ルト顔料での絵付けの技術が伝わり、生地に直接、
コバルトで絵付けした後、透明な釉薬を掛けて焼成
することで、白地に青という、鮮やかなコントラストを
持つやきものが誕生した。

元代後期、景徳鎮で、この技法を用いて中国伝統の
瑞祥模様を描いたやきものが、大量に生産されるよう
になる。次第に各地に窯が増え、元末から次の明代
を通じて、青花磁器は、中国の主要な輸出品となった。

西方に運ばれた磁器は、西アジアを支配していたオ
スマン帝国や、さらにヨーロッパ各国でも、大流行・・・
・・・トルコのトプカプ宮殿博物館には、現在も大量の
磁器コレクションがある。(東アジア以外では最大と
聞いたことがある)

磁器の多くは、陶磁の道とも呼ばれる海上通商路を
経て運ばれたが、もともと壊れやすい(陶器よりは丈
夫らしいが)ものだけに、運搬は大変で、ヨーロッパ
では大変高価な値で取り引きされた。

そのため、特に大型の作は、もっぱら、王侯貴族の
コレクションとなった。

これをなんとか、自国でも生産できないか?というの
が、当時のヨーロッパ各国の“悲願”だったようだ。

オランダ(ネーデルランド)でも、これは同じ・・・しかし、
磁器の原料である陶石は、火山性の岩石であり、ラ
イン川河口の国・オランダには、産出しないのだ。

そこで、陶器による再現が試みられることとなる。

陶器作りが盛んだっオランダ・デルフトでは、17世
紀の初めに、炭酸カルシウムを多く含む陶土に、白
色の錫の釉薬を掛けて焼成し、その上に青の絵付
けをし、再度、焼成・・・という技法で、青花磁器によ
く似たやきものを作り出すことに成功した。

このことで、鮮やかな青と白のやきものは、広く一般
のものとなり、普及して行った。

17世紀になるとオランダ東インド会社を通じて多くの
中国磁器が輸入され、それらの優れた意匠が、デル
フトの陶器にも影響を与え、シノワズリ(中国趣味)と
呼ばれる美術様式の大流行の端緒ともなったのだ。


一方、磁器の東方(つまり日本だ)への伝播は、戦国
時代(16世紀)のことで、16世紀末、文禄・慶長の二
度の朝鮮侵略の際に連れ帰った陶工に、磁器の製造
をさせたのが始まりだと言う。(佐賀県有田にて)

当初は白磁を生産したが、青と白の染付が好まれて
いたために、主力はすぐにそちらに移行した。

時代とともに、絵付けや焼成の技術を高め、さらに、
江戸時代の後半には、その技術が各地に伝わって、
染付磁器は、日常の器となって行った。

明治に入って、欧米からの最新技術の導入で、陶磁
器の生産技術が飛躍的に進歩。大量生産が可能と
なったため、器のみならず、多岐にわたる利用が可能
となった。

そのひとつが、染付の便器である。

便器は木製が普通だったが、衛生思想の浸透ととも
に、沁み込みの無いものが好まれるようになり、その
特性から磁気製品が作られるようになる。

染付の便器は、愛知県瀬戸で作られていたが、明治
24(1891)年、濃尾地震の復興期に、料亭や旅館な
どで、客用の便器として用いられたことから、大流行
となり、産地も次第に各地に広まった。

・・・なんか、用を足すのが申し訳ないような、豪華な
便器だ。「見えないところに最高の贅沢を」という、と
ても日本的な発想・・・というところだろうか。


というわけで、1月に見た陶磁器の展覧会は、以下の
三展です。

2017.1.9 「染付古便器の粋」@Bunkamura Gallery
 衛生陶器でお馴染みのINAXのライブミュージアムが
 収集した明治時代の 染付古便器を展示。
 花瓶?と思うような男性小便器がたくさん!・・・「しびん」
 という落語を思い出しつつ見た・・・しびんにも、こういう
 の、あるんだろうか?(展示期間終了。常滑にあるミュ
 ージアムでは常設展示しているようだ)
   0109(2).jpg(チラシから。部分)

2017.1.27 「染付誕生400年」@根津美術館
 有田で磁器生産が始まったのが、1616年だそうで、
 それを記念して・・・とのこと。実業家・山本正之氏が
 2010年に根津に寄贈した収集品を中心に、17世
 紀から19世紀の、肥前磁器を展示。
 染付だけでなく、青磁、白磁、赤絵など、さまざま。
 (2月19日まで。月曜休)

2017.1.30 「コレクターの眼    
ヨーロッパ陶磁と世界のガラス展」@サントリー美術館
 こちらも、ふたりの収集家からの寄贈品を紹介する
 展覧会。
 中で、ヨーロッパ陶磁は、美術商の野依利之氏の収集
 品で、17〜18世紀のデルフト陶器が中心。
 磁器の、青と白の美を、陶器でも再現したいという、職
 人の思いが伝わって来るような感じ。
 (3月12日まで。火曜休)
 この展覧会、写真撮影可だったので、いくつか撮らせて
 もらった。
 0129(3).JPG これは中国風だが、

   0129(4).JPG こちらはごくヨーロッパ的。

   さらに、天使と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・悪魔。
   0129(5).JPG 0129(6).JPG
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2017年01月19日

2017.1.18 すみだ北斎美術館 常設展

2017.1.18 すみだ北斎美術館 常設展

最初に、「出来るよ」と聞いたのは、もう、かなり以前の
ことだ。たしか、江戸東京博物館の開館前後のことだ
から、平成5年?

今回、伺ったところでは、最初の企画段階からだと、な
んと29年という歳月が必要だったとのこと・・・
ちょうど、バブルがはじけた直後からの、経済低迷の
影響を、もろに被ってしまったのだろう。

その、待望久しかった、「すみだ北斎美術館」が、昨年
11月、めでたく開館。残念ながら、開館記念展はもう
終わってしまったが、常設展はいつでも見られる・・・と
いうことで、訪れることに。

両国駅からほど近い、墨田区亀沢、北斎の生誕地と
言われる町の、公園の一角にその美術館はある。
小さいながらも、現代的なフォルムの建物だ。

0118(1).JPG
(建物外観。パンフレットから転写)

地上4階、地下1階で、一階に受付とショップ、図書室。
地下は洗面所とロッカー。2階が事務室で、3・4階が
展示室になっている。

3階の企画展示室では、この15日まで、開館記念展が
開催され、多くの見学者を集めた・・・もう、間もなく、入
場者が10万人を超えるとか。

開館記念展の“目玉”は、海外に流出して、100年も行
方不明であった、「隅田川両岸景色図巻」の一挙公開で
あったらしい・・・
  0118(2).JPG(部分。パンフレットから転写)

見られなくて残念だが、この作品は、墨田区が2015年に
取得したとのことなので、自館所蔵品。いずれまた、展示
される機会はあるに違いない。

常設展は、この作品で始まる・・・
 0118(3).jpg
「須佐之男命厄神退治之図」

これは、北斎が86歳の時に描いて、牛嶋神社に奉納した
ものの、関東大震災時に焼失、白黒の写真のみが残って
いたものを、最先端の技術で、推定復元したものだそうだ。
(凸版印刷という会社が実施。現在、1階の講座室で、そ
の記録映像が公開中)

展示室は、決して大きくはないけれど、北斎の若年から晩
年に至る作品が、系統的に展示されており、その作風の
変遷を、きちんとたどることが出来る。

展示の最後は、小布施の北斎館所蔵の「富士越龍図」。
北斎の絶筆と伝えられる作品である。(展示期間不明)

また、タッチパネルを利用して、見学者がゲーム感覚で遊
ぶことが出来たり、現在は展示されていない作品を、画像
で見ることも出来る。

冒頭に紹介した「隅田川両岸画巻」も、そのひとつ。大判の
パネルを手で送りながら、全巻をたどることが出来、合わせ
て、描かれた景色の位置が、壁面の地図に示されるように
なっている。

借用作品以外の自館所蔵作は、写真撮影も可能らしく、デ
ジタルカメラ片手の見学者も多かった。
(正直、これは、良し悪しだと思うけれど)

愉快だったのは、展示室内に再現された「北斎とお栄」。
0118(4).jpg

すっごい、リアル!・・・おまけに、動く!

そんなこんなで、美術鑑賞的にも、テーマパーク的にも、
楽しむことの出来る場所・・・というのが、最初の印象だった。

それにしても、区レベルの自治体で、北斎というビッグネー
ムを、美術館を作るほどに収集するって・・・いったい、どう
やって出来るのか・・・大きなコレクションの一括購入や、
寄贈があったらしいのだが・・・・

そのあたりの“秘密”?を明らかにする(かもしれない)の
が、来月から開催される、第二回企画展。

「すみだ北斎美術館を支えるコレクター
−ピーター・モースと楢崎宗重 二大コレクション」
2017年2月4日〜3月26日(展示替えあり)

いわば、「お祭り」の開館記念展よりも、個人的にはこちら
に興味を惹かれるね・・・って、開館展を見損ねた負け惜し
みもあるんだけど・・・楽しみにしています。

すみだ北斎美術館
 墨田区亀沢2-7-2 03-5777-8600

posted by JTm at 09:25| 展覧会 | 更新情報をチェックする

2015年07月24日

2015.7.23 「能楽入門」展@国立能楽堂展示室

2015.7.23 「能楽入門」展

能楽堂公演鑑賞の合間に、展示室をのぞいたら、
ちょっと面白い絵が展示されていた。撮影は、禁
止(当然だが)なので、ご紹介は難しいかなと思っ
たら、たまたま、プログラムの表紙に使われてい
たので。

0723(1).jpg0723(2).jpg
錦絵「町人御能拝見の図」(国立能楽堂所蔵)
       橋本楊洲周延=画(明治21年)

将軍家の祝い事に際し、江戸城内で催される能楽
を、特別に町人にも観覧させることがあった。

これを「町入能(まちいりのう)」、「町人能」と言う。

観覧を許されたのは、地主、家主、御用達等の旧
家に限られたが、天保期には5,111人もが招待さ
れたそうだ。(朝・昼の二組に分けた)

町人たちの席は、能舞台の脇正面にある竹矢来の
中・・・上図の左下部分である。

小さくて分かりにくいかとは思うが、よく見ると、この
町人たち、すごい、大騒ぎをしているのだ。
解説文を引用・・・。

「町入能は無礼講で、寛容に許されていた。禁止さ
れながらも代理を立てる者が少なくなかったためで
ある。服装は紋付麻裃と定められていたが、木綿や
縞物に紙の紋を貼った者もいた」

「将軍や町奉行に掛声や野次を飛ばす者、頬かむり
して喫煙する者、口論、乱暴、狼藉をする者も多かっ
たらしい」

「(終演後に)下賜される土器、菓子も一人で数個を
貰う者もあり、(ふるまいの)酒が入った錫器も奪い合
い、果ては粉々に打ち砕かれた」

とんと、落語の世界を思い出させるね・・・・

「普段の袴」、「黄金の大黒」、「芝居の喧嘩」etc.etc.

見もしない能のご招待に、なんで行く?と思ったら、
参加者は、後日、銭一貫文と引き換える「銭割符」を
貰えたから・・・なんだそうで。

これもまた、ひどく“落語的”ではないか。
posted by JTm at 12:11| 展覧会 | 更新情報をチェックする