2018年09月29日

2018.9.28 国立能楽堂狂言の会

2018.9.28 開場35周年記念公演 国立能楽堂狂言の会

演目
狂言「福の神」(大蔵流)
   シテ(福の神)=善竹忠一郎、
   アド(参詣人)=善竹隆司、善竹隆平
   地謡=大藏基誠、大藏吉次郎、善竹十郎、善竹富太郎
狂言「射狸(いだぬき)」(大蔵流)
   シテ(尼・古狸)=山本東次郎、
   アド(猟師)=山本則重
   囃子方 笛=槻宅 聡、小鼓=森澤勇司、
       大鼓=高野 彰、太鼓=桜井 均
  (休   憩)
狂言「木実争(このみあらそい)」(和泉流)
   シテ(茄子の精)=野村萬斎、
   アド(橘の精)=石田幸雄、
   立衆 柿の精=深田博治、桃の精=高野和憲、
      梅干の精=月崎晴夫、葡萄の精=岡 聡司、
      栗の精=野村太一郎、胡瓜の精=中村修一、
      西瓜の精=内藤 連、南瓜の精=飯田 豪
   囃子方 笛=槻宅 聡、小鼓=森澤勇司、
       大鼓=高野 彰、太鼓=桜井 均
   地謡=野村遼太、野村万作、破石晋照、野村裕基

「福の神」。以前に茂山狂言会でよく出ていた演目で、ある
意味お馴染み。今回は同じ大蔵流でも、大阪にルーツのある
善竹家のメンバーで。

物語は単純なので、大きな違いはない。神殿で新年を迎える
ふたりの参詣人の前に、福の神が出現して、幸せになれる方
法を教えてくれる・・というのだから、めでたい、めでたい。

捧げられた神酒を呑んで、いささか浮かれ、ついには立ち上
がって舞い始める福の神・・・にこやかなお顔の面が、なん
とも福々しく可愛らしい。
福の神の“大笑い”で終わる、「笑い止め」。

「射狸」。茂山家の「狸腹鼓」と似ているけれど、ちょっと
違う。もともと、この“狸もの”は、各流・各家で秘曲扱いさ
れたとのことで、そのせいか逆に“まぼろし”の曲になってし
まった?らしい。

幕末に井伊直弼が復曲して茂山千五郎家に伝わるのが「狸腹
鼓」(通称「彦根狸」)、昭和61(1986)年、山本東次郎師
の復曲が、この「射狸」なのだそうだ。

開始前に秋の草花を植えた一畳台が、舞台中央に設置された
のは、ちとビックリ。そして、シテの尼が、衣は身に着けて
いるものの、面は最初から狸というのにも驚く。
「狸腹鼓」と、大きく異なるところだ。

狸狩りを生業とする猟師のもとに、古狸が尼の伯母に化けて
訪れ、殺生の非を説く。猟師は納得してもう狸は狩らないと
約束するが、ずっと狙っている古狸だけは・・と、思い直す。

と、帰ったはずの伯母が、なぜか浮かれて舞い踊る姿に・・

この尼が謡う小謡が、「七つになる子」。遊女のいる里へ遊
びに行こうという、尼さんにはあまり(全然!)似つかわし
くないもの。

かくして、正体は露見し、猟師と狸の一騎打ちになる。ここ
で最初に出てきた一畳台が重要な役を果たす。狸は身軽に、
台に飛び乗ったり下りたり・・そして、ススキの陰で、尼の
衣を脱いで、狸に変身!

御年80を越えたはずの東次郎師の身軽さに、脱帽です。

狸の打つ腹鼓に、次第に猟師が浮かれて、立場が逆転するの
は、“腹鼓”と同じ。最後は、狸がススキの草むらに隠れてい
るのに気づかずに、猟師は狸を探して退場。それを見送った
狸が、橋掛の真ん中へんで、手すりにもたれて空を見上げる

・・・これきっと、空にかかる月、それもたぶん満月を見て
いるんだろうなー・・・素晴らしい余韻だった。

「木実争」。大蔵流では「菓争(このみあらそい)」と書く
ようだ。だいぶ以前に一度、見ているはずだが、記憶は定か
でないが、出てくる木の実の面々が、少し異なるようだ。

今回は和泉流、野村万作家で。

吉野の桜を見に行く橘の精が、途中で茄子の精と道連れにな
る。しかし、このふたり、どうも最初から折り合いが悪い。
橘は、自らを“高貴”なものと思っていて、茄子はそれに反感
を持っている。

この茄子氏、意外に?物識りで、橘の言葉尻をとらえてはか
らかいの種にする。橘はまた、茄子風情が何を言うか!と反
発して・・・ついには、古歌の解釈を巡って大喧嘩に。

橘に加勢する、柿、桃、梅干し、葡萄。
茄子の側には、栗、胡瓜、西瓜、南瓜。

これが、男ばかりでなく、老若男女とりまぜた構成になって
いるのが面白い。

桃の娘が桃尻を端折って、臭い(匂いじゃない?)攻勢、茄
子は名が与一で弓の名手、栗は伊賀のくノ一・・・
もう、駄洒落ですね、こうなると。

両軍入り乱れての戦いは、しかし、山嵐のひと吹きで、あっ
さりと幕になる。自然の力にはかなわない。

それにしても、俗曲「なすかぼ」では喧嘩をする茄子と南瓜
が、ここでは味方同士なんだなぁ・・と、妙なことに感心。

能楽堂30周年の時の狂言の会は、とっても難しくていささか
閉口したのだけれど、今回は、かなり砕けた感じで、大いに
楽しめた。やっぱり、狂言には笑いが不可欠。
posted by JTm at 10:42| 狂言 | 更新情報をチェックする

2018年09月20日

2018.9.19 千作千五郎の会@国立能楽堂

2018.9.19 第四回 千作千五郎の会

演目
狂言「鎧」
   果報者=茂山千作、太郎冠者=茂山千五郎、
   すっぱ=茂山宗彦     後見=鈴木 実
  (休   憩)
狂言「舟船(ふねふな)」
   主人=茂山七五三、太郎冠者=千作
                後見=島田洋海
狂言「磁石」
   すっぱ=千五郎、見付の宿の男=茂山 茂、
   宿の亭主=茂山逸平    後見=島田
附祝言「猿唄」      島田洋海

「鎧」。持ち物自慢の会が“鎧比べ”なので、果報者(主人)
は、召使の太郎冠者を、都に鎧を買いに行かせる。
ところが、太郎冠者、鎧がどんなものなのか、どこに売っ
ているのか、まったく知らず・・・

狂言にはよくあるパターンで、「鎧買おう!」と呼び歩く
田舎者に、都のすっぱ(詐欺師)が目をつける。

まんまと、鎧ならぬ鎧について書かれた文書を売りつけら
れた太郎冠者、喜び勇んで帰宅するが・・・

ちょっと珍しいのは、実は主人の果報者も、鎧のことをまっ
たくわかっていないらしい・・縅(おどし=鎧の小札を綴
り合せること、またはそうして作る鎧の様式)と、“脅し”
の区別がついてないのだから。
・・・鎧なんか不要な、平和な世の中なんですね。

そのしるしに、太郎冠者が読み上げる“鎧”の詞は、「弓は
袋を出さずして、剣は箱に納むれば」と、武器が無用であ
る御代を語っている。

この鎧の詞、新春の「舞初式」で、最初に語られるものだ。
新しい年の平和であることを祈る意味、なのでしょうね。

「舟船」。西宮見物に行く主従。途中の神崎の渡し(兵庫
県尼崎市)で、渡し船を呼ぼうと、太郎冠者が叫ぶ。
「ふなやーい!」。

「“ふな”じゃない、“ふね”だ」と言う主人に、太郎冠者は・・・

古歌や謡を引いて、自らの説を主張するふたり・・ところ
が、どうも、主人の方が分が悪く?

確かに、船着き場、舟人、船出と、“ふな”が多い。
これ、上方落語に出てくる、「大坂には“ばし”はあるが、
“はし”はない」というくだりを思い出す。(心斎橋、天神
橋、戎橋など、すべて“ばし”)

そして、年配のおふたりの、他愛ない口喧嘩というのは、
落語「笠碁」に通じるなぁ。

「磁石」。これは今年4月の春狂言にも出た演目。一曲目
に続き、田舎者とすっぱのお話だが、どうやらこの田舎者
は、なかなか目端の利く男のようで・・。

遠江・見付から都に上る男が、途中、大津・松本の市で、
人買いのすっぱに出会う。

すっぱは、まんまと男を騙し、仲間の宿に連れ込むが、様
子を怪しんだ男は、宿の亭主とすっぱの会話を盗み聞き、
その裏をかく・・・。

太刀を向けられた男が、「俺は唐土と日本の境にある磁石
山に住む“磁石の精”だ!」と・・一瞬、本当かと思ったよ。
(狂言にはよく、ナントカの精ってのが出てくるので。蚊
とか、蟹とか)

しかしこれは、真っ赤な嘘で、見事、すっぱを騙し返した
男は、すっぱの金と太刀まで取り上げる。

この磁石山(じしゃくせん)という発想、いったいどこか
ら?と思ったら、どうやら仏教の教えと関係するらしい。

釈迦が説法を行った霊鷲山(りょうじゅせん。インド、ビ
ハール州)のことを、現地のバーリ語でギッジャクータ、
これを音訳して耆闍崛山(ぎじゃくっせん)と呼ぶのだそ
うだ・・・磁石山は、どうやらここから、音だけ借りた、
パロディということなのだろう。

当時(狂言の成立した中世)の人たちには、ちゃんと通じ
たのかな、この面白さが。
現代人には、無理だよね・・・。
posted by JTm at 11:07| 狂言 | 更新情報をチェックする

2018年09月17日

2018.9.16 茂山狂言会・秋@金剛能楽堂

2018.9.16 茂山狂言会・秋 まだまだ若いもんには負けません

演目
狂言「比丘貞(びくさだ)」
   尼=茂山千作、
   親=茂山 茂、子=茂山鳳仁
   囃子方 笛=左鴻泰弘、小鼓=成田達志、大鼓=谷口正壽
   後見=茂山あきら、松本 薫
   地謡=島田洋海、茂山千五郎、茂山宗彦、山下守之
新作狂言「濯ぎ川(すすぎがわ)」(飯沢匡=作)
   聟=茂山七五三、
   女房=茂山童司、姑=茂山千三郎
   後見=増田浩紀
  (休   憩)
小舞 「雪山」      茂山 蓮
   「神鳴」      茂山竜正
   「暁の明星」    茂山虎真
     地謡=増田、茂、童司、井口竜也
狂言「老武者(ろうむしゃ)」
   宿老=あきら、宿の亭主=千五郎、
   稚児=茂山慶和、伴僧=茂山逸平、
   若い衆=宗彦、島田、山下、鈴木 実、
   年寄衆=千三郎、網谷正美、丸石やすし、松本   
   囃子方 笛=左鴻泰弘、小鼓=成田達志、大鼓=谷口正壽
   後見=七五三
   地謡=増田、茂、童司、井口
附祝言「猿唄」   増田、茂、童司、井口

敬老の日の前日ということで、今回の茂山狂言会は、
お年寄りが活躍する三曲。そのうち、二曲が初めて
見る演目なので、期待は大きい。

「比丘貞」。「枕物狂」「庵梅」と並ぶ、三老曲・・
つまり、老人がシテの曲。あとの二曲は、以前に見
ているが、いずれもかなり難しかったという記憶が
ある。

この比丘貞もまた、“重習(おもならい)”と呼ばれ
る難曲。

近所の男に、息子に名をつけて欲しいと頼まれた尼。
烏帽子名を「庵太郎」、名乗りを「比丘貞」とし、
祝いに米や銭を贈る。

さて、ここでまずつまづく。赤ん坊ならともかく、も
う大きくなった子に、今まで名がないって・・?
そして、烏帽子名と名乗りの違いは?

これは要するに、元服を迎えた男の子に、大人として
の名をつける・・ということのようだ。ただ、烏帽子
名も名乗りも、同じような意味が出てくるだけで、ど
うにも違いがはっきりしない。
・・これは、ちょっと解説が欲しかった。

それはさておき、お話の方は、祝いの酒宴となって、
老骨にムチ打って?舞いを舞う老尼・・これが、なか
なか色っぽいのだ。意外に娑婆っ気の抜けない尼さん
なのかもしれない。

「濯ぎ川」。これはお馴染みの演目。主人公は七五三
師の演じる、養子の聟だが、活躍する老人は、千三郎
師の姑である。

女房と姑に、いいようにこき使われる聟が、一計を案
じて「やるべきことを全部書いて」と言う。
書いてあることは全部やる、でも書いてないことは一
切やらない・・というお約束。

と、足を滑らせた女房が川に落ち・・・
「川に流された女を助けよ、とはどこにも書いてない」
果たして、聟殿、家長としての権威を確立できるのか?

それにしても、この女房と姑、狂言の中でも、5本の
指に入る、わわしい女たちだね。聟殿がお気の毒。

休憩後は、次代を担う坊やたちの小舞を三曲。
・・といっても、竜正・虎真ご両人は、もう、立派な
少年・・を通り越して、青年と言ってもいいくらい。

毎年見ていると、その成長ぶりに、親戚の子を見るよ
うな喜びを感じてしまう。これもまた、伝統芸能のお
家を見る楽しみのひとつなんだろう。

「老武者」。これもお初の演目。
美しい稚児が宿に宿泊したと聞きつけて、土地の若い
者たちが、お盃を頂戴したいと訪れる。

酒宴をしていると、今度は土地の宿老も、お盃を・・
と訪れる。しかし、宿の主人に断られてしまう。

恨んだ宿老は、仲間の年寄衆を連れ、手に手に武器を
持って、仕返しに・・・迎え撃つ若い衆と亭主。
まさに、くんずほぐれつの大立ち回り・・と言いたい
ところだが、いささか年寄の冷や水の感が・・。

ずっと腰を曲げたままの(特に千三郎師は濯ぎ川から
ずっと!)年寄衆、どうもお疲れ様です・・どこまで
が本当で、どこからが演技なの?という感じも、無き
にしも非ずでしたけれどね。

地謡の4人がそのまま残って、附祝言。
「楽しゅうなるこそ、めでたけれ」・・・まさに。
posted by JTm at 17:39| 狂言 | 更新情報をチェックする